どうでもいい話


本日は、スペインの教授の話を聞きました。フランスにもあるのですが、この人は研究専門機関で働いていて、大学の授業を受け持たず、主にやることは、研究予算用のプロポーザルを書く。優秀な人材を世界中からゲットしてくる。研究の学会とのパイプ作り。そして、面白いトピックを研究機関に属している人に教え、研究の方向付けを行っていく。イメージ的には、プロデューサ感覚で、話も面白く色んなことを知っている。研究の世界は国際レベルの競争で、大学で授業を受け持つということは、研究者にとって半分面白いけど、半分は自分の研究の時間を奪い取る嫌なタスクだったりもする。じゃ、授業の時間をやらなくていいかわりに研究だけをすればいい研究結果が出るか?となると実はそうでもなかったりしているのが現実。一方、大学で教える先生はプロフェッショナルか?となると、これもひどい授業が多い。世の中に出たことがない人が多く、たいしたことないのに先生と呼ばれたりしているため稚拙な人も多い。


先ほどのスペインの教授ですが、このような人はスターと呼ばれています。研究学会に行くと周囲に人が集まり、話の中心になる。多くの公演を依頼され、それでいて大量の論文を出す。彼らは広く深く仕事をし、研究界の方向性付けをしていくことに注目している。大量の論文には秘密があり、彼らはあまりファースト・オーサーがなく、共著であったりする。ただ、ファーストオーサーの仕事の場合、これはやばいくらい深くて広いので、とっても被参照数が半端ない。


どのような人が適しているか?

  • 明るく、社交的な人
  • 英語が堪能
  • 理解力のある人
  • 周囲の人にやる気を与えることのできる人


どうやら、学問の世界も本格的にプロジェクトの時代になっているなぁとつくづく思います。分かりやすい例で言うと、さいとうたかをプロみたいな感じですかね。彼はたぶん漫画界で初のプロデューサなんじゃないかなぁって思います。ハリウッド映画の多くも、プロデューサが大枠を作り、その方向に見合う、脚本、キャストを付け、最後に監督を決め、映画を撮影するみたいな感覚に近いかも。ちょっと浪漫がないと言えば、そうなるかもしれませんね。ただ、個人でやっても対して浪漫はないのが現実なので、こういうのがいいのかもしれませんね。ルネッサンス期の芸術家たちも個人ではなくグループで仕事をしていたわけですし。




ひょっとしたら、日本にもこういう機関があるのかもしれませんが、ヨーロッパではこういう機関なしには、研究の世界は国際競争力を維持できなくなっているのが現実っぽいです。


余談ですが、やっぱり西洋ではいわゆる大学の先生と生徒の関係が同じレベルなので、より研究がスムーズに行くと感じる。日本語で研究すると先生と生徒の関係には敬語が入ってくるために、研究のパートナーというよりは、師匠と弟子みたいな関係にんってします。



こちらのブログは、中の人は爽やかなんですが、
わざわざ読んでいただいた方の多くはガチな人だと思っていますので
今日のどうでもいい話は
誰のために書いているんだろう???


今日のBGM