3周年


3周年って何だったっけって調べなおしてみたら、夢に向かっての発売から3周年だったんですね。
ってことで、自分の衝撃の出会いから、すでに3年なんですね〜。


このイベント、すっごく楽しそうで、必死になって航空券探してみたけど、自分のお仕事の関係上、時間が限られていて、航空券も残ってなくて、5000ドルオーバーのビジネスクラスしか残ってない。。。
さすがに遠征できないので、一人寂しく思い出を振り返りますw


当時、ハロプロエッグを中心に見ていて、なんとなく、さくら学院のことは雑誌とかで知って、goomoの新しいことも番組なども予習したりしていました。
そして、エッグが解散するコンサートと同じ日に、さくら学院のファーストコンサートがありました。
エッグの横浜ブリッツの昼夜のステージの間に、赤レンガに行けば、4曲くらいは見れるかなぁって思えました。ってことで、簡単に出入りできそうなF列をオクっておきましたw
そのときは、石川県にある大学との契約が終わって、ヨーロッパの大学とアメリカの大学に就職活動していた時期で、このコンサートの前日にアメリカの大学から採用の通知をもらって、いよいよ日本での生活も残りわずかって時期で、コンサートとかの選択も重要な意味を持っていました。


エッグの昼のコンサートを見終わって、なんだか閉塞感みたいなものばかりを感じてしまい、なんだかなぁって想いを胸にタクシーで赤レンガに向かいました。


ホールに入ったら、真ん中が突き出たステージで、最前中央で、これは途中で抜け出すのは、失礼に当たるし、やばいなぁって思ってましたが、自分も残り少ない日本での生活だしってことで、割り切りボーイでした。
コンサートがはじまって、圧倒的なキラキラ感とテンポの良いお笑い要素と、多様な楽曲に魅了され、「さようならより、はじめまして」の方が重要だよなぁって思って、さくら学院の夜公演を最後まで楽しむことにしました。


それからは、できるだけ、さくら学院のイベントに行けるだけ行こうと思ったのですが、既に、オーストラリアでの学会発表に行く予定とか決まったりしていて、制服イベは第1部しか参加できませんでした。
自分の記憶が確かなら、このとき、はじめて最愛ちゃんにお手紙を書きました。コンサートとっても感動したことをどうしてもお伝えしたかったのです。自分の心が動いたので・。そして、寧々ちゃん、最愛ちゃん、由結ちゃんのレプリカ制服を買いたかったのですが、抽選でどうにか寧々ちゃんのをゲットしました。そのときが、寧々ちゃんと一番近くにいれた瞬間だった気がします。


石丸がまだあった時期で、寧々ちゃんが西郷隆盛が大好きってアピールしていたりしていて、そして、ニックネームを付けるのが得意な最愛ちゃんが、ねねどんってニックネームを付けたりしていたのを思い出しました。そういう意味では、自分は寧々ちゃんの弟なのです。


そして、アメリカへの就職のために航空券を購入したのですが、その直後にバレンタインイベが発表されたのです。自分の航空券は振り替えが利かないし、バレンタインのイベントとか絶対楽しいよなぁってことで、アメリカの大学にビザがまだ発給されないってことにして、航空券を投げ捨て、バレンタインイベントに参加しました。
このイベントで、KARAのお尻フリフリダンスを最愛ちゃんがノリノリでやっていたのを思い出しましたw 
そうそう、寧々ちゃんからチョコを手渡ししてもらったり。


泣く泣く夢に向かってアメリカに飛び出し、直後にホームシックでした。だって、アメリカにさくら学院いないんですもの。。。。
そして、ここから大遠征生活がはじまりました。
典型的な遠征パターンは、金曜日、学校をサボって、金曜日の未明に飛行機に乗って、土曜日の早朝に日本に着いて、サウナで仮眠して、土日のイベントに参加して、日曜日の深夜に日本を旅立って、日曜日の夕方にアメリカに着くっていうパターンでした。
金額的にも厳しいのですが、この遠征をすると時差ぼけがひどいのと、戻ってきた後、あぁ、もうしばらく会えないのかぁって、すっごく凹んだりしてました。そして、そのパワーが、次の遠征の活力になったりしていて。


しばらくして、3月11日になって、日本なくなちゃうのかなぁって焦ったりしました。


そんな感じで
大震災自粛の中の。ゴールデンウィークTwinklestarsのイベントとかMONOでの手売りやタワレコでのイベントに遠征したり
TIF、学院祭に参加
途中、ハロプロ研修生の日帰り参戦もしました。ななみんが体調不良ではじめ出て来ないっていう悲劇と共に、最年少殿堂入りしたりしていましたw



2012年になって、どうしても行きたかった公開授業にようやく参加したのですが、星の授業というプラネタリウムでメンバーの声だけを聞くという、残念すぎる授業、しかも先生役の人がほとんど説明していて、自分は何のために遠征したんだろうって悲しくなる授業。翌日のまんがの授業はなかなか面白かったらしいのですが、アメリカの大学で日曜日にミーティングやりたいから来いっていう連絡。いや忙しいから駄目です、どうしても来てくれっていうやり取りを、日本の土曜日の深夜にして、日曜日の漫画の授業を途中で切り上げ、当日券の航空券を買ってアメリカに戻るっていう悲しい結末。



2012年3月は、はじめての卒業式。
めっちゃ泣きました。
その悲しい気持ちのまま羽田空港に夜11時ごろ到着。さて、飛行機に乗ろうって思ったら、ビザが切れてる。っていうかビザの更新が必要って知らず、アメリカに帰れない。頭が混乱する中、羽田の近くの宿探し。とりあえず、翌朝実家に帰り、アメリカ大使館にビザのお願い。アメリカには極秘遠征だったので、前の年に亡くなった祖母が急遽亡くなったってことにして、急遽2週間のお休みになりました。そのおかげで、はじめて、さくら学院以外でのBABYMETALのイベントを見ることができました。


ゴールデンウィークさくら学院の転入式イベントにまたもや遠征。赤レンガってこんな小さい場所だったのかって驚くほど、さくら学院は大きくなってました。そして、寧々ちゃんの涙が印象的でした。
TIFはいつものように参戦して、学院祭も遠征w


冬は僕の仕事がら数ヶ月、休みなく徹夜続きの毎日なので。遠征できません。
そんな日々を過ごして、なんかボスに腹が立って、もう辞めますって反乱を。結局、とりあえず休暇を取りなさいって説得され、しばらくお仕事を続けることに。ラスベガスに行ったけど全く癒させず、急遽当日券で日本へ遠征して、さくら学院のオールスタンディングライブを見る!
その後、卒業式に再び遠征w
転入式に遠征
BABYMETALのNHKライブに遠征。7月4日を日本で過ごしたかったので、1週間の滞在。でにーろさんとわんわんさんと一緒に最愛ちゃんの生誕をファミレスでお祝いw
TIFに遠征
学院祭に遠征
BABYMETALスカル遠征


ってことで、僕のアメリカ滞在の最後の年は7回往復して、これから最後の片道で日本に戻ります。
来年からは、もっと楽しい1年にしたいなぁ
とりあえず、航空券を買わずに現場に行けるの最高です


そうそう、この前のBabymetal、普通のヘビメタファンが、Babymetalのこと詳しく話してるのを聞いたりして、ほんと、すごいなぁって思いました。僕は、Babymetalのファンがもっともっと増えるような活動を続けて欲しいなぁって思います。聖誕祭ライブ行けないけど。。。