夏合宿

2010夏合宿の映像を見てました

画面見ながら、涙流しちゃいました
現場にいたら、号泣しちゃうかも


指導法って色々あると思う
気付かせてあげたり、成長を促したり


自分が指導する場合、常に良いところを引き出すために尽力する。
僕自身がすごく分かっている場合はいいけど、それが分からない場合には、指導している相手に聞くようにしている。本人は意外と、自分の良さに気づいていない場合があるので、対話を通じて良さを引き出そうとしたりする。中々分からないときは、本人が深く考えていなかったことに対する残念な気持ちでイッパイになったりして、落ち込むけど、それをサポートして、最後まで、本人の良さを引き出そうとする。

よく、ダンスレッスンで、厳しい言葉を言って、本人にショックを与えて、追い込む手法を目にする。プロとしてやっていくためには、目立たなきゃいけないってことを伝えるために。


僕はこのことに対して疑問を感じている。目立つ踊りや、人を惹きつける踊りっていうのは一つじゃないし、それぞれの個性に合わせて引き上げる努力をどこまで指導者がしたかっていうのは重要なポイント。だから、プレッシャーをかけてやる指導は映像的に面白いかもしれないけど、多くの可能性をつぶしかねないことも、ついつい考えてしまう。今回のは、そうでもないけど、舞波ちゃんへのダンスレッスンをいつも重ねて見てしまう。彼女は、とっても個性があって素晴らしかったけど、その個性を矯正させ標準化させようとしている指導を見て、悲しく思った。


今回の夏合宿での指導の意図は、そこまで見えなかったけど、特技だからOOでなければいけないっていうのは、個人的に疑問を思った。ゆりかちゃんを推しているから、かばうために思うのではなく、ゆりかちゃんの個性を上手に引き伸ばすことを、どこまで指導者が努力したかを見たいんです。もちろん、指導者の番組じゃないからはし折ってるかもしれないけど、それだったら、伸ばしているところも焦点を当てて欲しい。


何が言いたいのか分からずに、書いているけど、ゆりかちゃんの良さは控え目さで、控え目なのに推されたりしたら面白いし、それも正解だと思う。ゆりかちゃんみたいな子がれいらちゃんみたいなイケイケなダンスをしたら面白いかもしれないけど、それって答えなのだろうか?ゆりかちゃんが一般的なダンサーみたいなものを将来目指しているんだったら、先生の指導も納得いくけど、ゆりかちゃんは、もっと漠然としたものを目標としていると思うし、そんな子にとって、楽しく見せるテクニックとかを身に付けて欲しくないんです。あの感じだと、無理やり楽しく見せる努力や技術を身に付けなさいっていう風に育っちゃう気がして、それが心配なんです。つまり、自然な感情をどうやって引き出すかってことをポイントにして欲しいなぁって。自分だけかもしれないけど、表面的な技術みたいなのものに全く惹かれなくて、内面からあふれ出るまじりっけのない輝きみたいなものに惹かれるのであって、そういうものっていうのは、いわゆるダンサー崩れの指導者にどこまで分かるんだろうって思うんです。つまり、ダンスのテクニックの指導は出来ても、あふれ出る輝きの指導っていうのは、ダンスの先生じゃつとまらないっていうか、相当考えてもらわないと出来ないんじゃないかなぁって思うわけです


最後に、ゆりかちゃんが、このブログを見ることはないとは思うけど、ゆりかちゃんには、自分の持っている輝きを大切にして、それを自然と見せればいいので、無理やりアピールするための媚びた笑顔とかではなく、たまに見せる心からの笑顔でちょうどいいって思います。そっちの方が希少性が高いですし、ゆりかちゃんの魅力ってそういうところだと思う。


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