いろいろと考えさせられますね


さきちぃ、卒業するんですね


詳細はわからないので推測ではあるんですが、さきちぃは歌もめっちゃうまいですし、非常にスマイレージに合っている子かなぁって思っていたんですが、どこかで演じていたりしている部分が、ホントの自分とは違くて、そのギャップに、ウソをついている感じがして、そこが嫌になったのかなぁって邪推しています。


社会的な立場とかいろいろ関係するのって大人でも嫌ですし、ましてや純粋な気持ちの強い若い年代って、不正義に感じたりもするかもしれない。


僕が嫌うのは、〇〇ちゃん、「こうした方がいいよ」ってヲタが自分の理想を握手会やお手紙に書いたりすることです。
これって、このブログで書いたことあるか分かりませんが、結構、ヲタの中でやってる人、多いって思います。

俺、今日、ダメ出ししておいてあげたよ。だって、この欠点を直しておかないと、売れないからな。

みたいなことを聞いたことは何回もある。


本人としては、いたって真面目に応援しているからこそ、「自分の理想のアイドル像」をお伝えして、そっちの方向に仕向けようと教えてあげるわけですが、それって受け手側のことを考えてのことなのだろうか?僕は、それは、基本的には、押し付けがましい人であって、相手のことを本当に考えて言葉を選べる人ではないって思う。アイドル側にしてみれば、いい迷惑なことも多いと思っている。特に、さきほどの本当の自然な自分とアイドルとして演じている良い子ちゃん的な部分とのギャップに悩んだりもする。


アイドル側からすれば、普通の世界でまともに生きていないキチガイじみたキモヲタのアドバイスなんて無視して適当に流せばいいわけですが、それが代わる代わる多数の人からお経のように唱えられれば、そういう風にするべきだって洗脳されるかもしれない。そこから逃げ出すのは普通じゃいられないよ。





実は、いろりんも、いろいろ悩んでいるのかなぁっていうブログを読んだ。
http://secret.ameba.jp/0911091205071120/amemberentry-10995193469.html
アメンバ申請しないと読めないので、申請してみてください。


僕は、こういうコメントを残してみた。
これは、アイドルをやっている人、あるいは、何かを演じている人にも共通する部分なので、自分の意見として、こっちにも書いておきます。

今、海外に住んでいるので、いろりんがどんな風に歌ったり踊ったりしているのか分からないのですが。。。いろりんのステージを見た最後はエッグの新人公演の最後の日です。


いろりんのことは、℃-uteオープニングアクトか何かで、ハロプロ関西のときに、めちゃホリの曲を舞台袖で完璧に踊っているのを見て、この子、応援したいなぁって思いました。


いろりんのステキなところは、たくさんありますが、迷わずに突き進んでいるパワーを出してるなぁって感じているときに、すごいなぁって思います。ぴょんぴょん跳ねてるときとかかわいいなぁって思います。


でも、いろりんもだんだん大人になっていくと、色んなことが見えてきて気になるかもしれませんね。素人なので詳しく分かりませんが、やっぱりファンは、いろりんが自信がなさそうなときは、応援することで、いろりんに自信をもってもらいたいですし、いろりんからパワーをもらったときに、ありがとうございますって気持ちになると思います。


ちょっとまじめな話をすると、いろりんが一番自然でいられる感じなのが一番ステキだって思います。ファンの人は時として、自分の好みや理想に近づいて欲しいって思うかもしれませんが、やっぱり、いろりんが一番自然でいられるときに、一番いろりんがキラキラしていられるんじゃないかなぁって思うんです。


それから、いろいろ悩んだりするのは、いいことだと思います


遠くからですが、これからも応援させてくださいね。


自分のコメントが、いろりんのプラスになるように、そして実は苦しめたりしていないか不安が残るところではあります。


ただし、一番言っておきたいのは、相手とちゃんと向き合って、正しく納得いくように意見を言い合うことは重要だと思います。日本って、特に、共通の意識を持てっていう無言の圧力が強い文化を持っているって思っています。これは、土地に対する人の多さと、言語的な背景に由来しているんじゃないか?って想像しています。日本って窮屈なので、相手のことを慮って配慮しないと、すぐにぶつかるので、そのぶつかりを極力排除しようとします。そして、これほど言語を省略して、わかるよねっていう言語も珍しいって思います。それは、普段の生活の多くで非常に便利で、日本の心地良さの理由の一つではあるんですが、「出る杭は打たれる」の言葉が如実に表すように、突飛な意見に対しては猛烈に反発されることもあります。


ハロプロって、長い歴史の中で、例えば不良的な素行に対して、何の特徴もない一般人が自分の良心を持って、善人ぶったご講釈をたれるわけです。
でも、そのご講釈通りにしてきた結果、そういう一般人が出来上がったわけで、そうすると、はっちゃけた行動をする芸能人の本当の可能性を排除してしまうかもしれない。それじゃ、つまらなくない?ってことです。平均値の高い人間って、必ずしも魅力じゃないし、むしろデコボコな欠点を持ってるけど、キラリと光る何かを見せる人が個性的で惹かれるって思う。なんていうか、陳腐な意見にだまされないで、本質を見極めた感じで人を育てて欲しいって常々思っています。そういうのって簡単ではないですけど、それが求められているって思う。